四人囃子Yonin-Bayashi - 27th Jan. 1978 札幌 中島スポーツセンター Legendary Live Performance

mooninjune69
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1 هزار بار بازدید - 10 ماه پیش - 27th Jan. 1978 札幌 中島スポーツセンター
27th Jan. 1978 札幌 中島スポーツセンター Live at Nakajima Sports Center, Sapparo, Hokkaido, Japan Support Act for Blackmore's Rainbow 01 眠たそうな朝には 00:00 02 なすのちゃわんやき 05:54 03 昼下がりの熱い日 10:18 04 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ 15:03 05 NYCRRM 18:58 06 ハレソラ 22:55 佐藤ミツル Mitsuru, Sato : guitar, vocal 佐久間正英 Masahide, Sakuma : bass, recorder 坂下秀美 Hidemi, Sakashita : keyboards 岡井大二 Daiji, Okai : drums 10年以上前にテープトレードで入手した音源。 1978年1月27日金曜日、札幌中島スポーツセンター、 Blackmore's Rainbow 札幌公演のサポートアクト。 自分もその場にいた。自分は中学3年生だった。 この日、この場所で19歳の女性が圧死した。 以下、自分の記憶を記しておく。 札幌では当時Deep Purple、ひいてはRitchie Blackmoreはすごく人気があって、 自分の通っていた中学でもロック好きの間ではJeff BeckとRitchie Blackmoreの どっちがすごいか?なんて語られていた時代だった。 この頃は海外の人気バンドが札幌に来るなんて滅多になかったので、 特にRitchieが好きというわけでもないファンもライブに足を運んだのではないかと思う。 前売り券が発売される時点でも徹夜で発売を待つ長蛇の列ができて ストラトをかかえた長髪の高校生、大学生のお兄さんがたくさんいた。 自分はまだ中学生だったので発売前日から徹夜で並ぶなんてとてもできなかったが、 友人のお姉さんがチケットを取ってくれて、友人と当日ライブを見ることができた。 席は前から15列目くらい、ステージに向かって少し左側の良い席だった。 前座は四人囃子。森園さんが脱退した後を埋めた地元札幌のMartian Road出身の 佐藤ミツルさんが加入後初のアルバムPrinted Jellyが前年10月にリリースされたばかりだったから ミツルさんの札幌凱旋のステージでもあった。 自分は、中学生になったばかりの頃はPurple大好きなハードロック少年だったが、 この頃にはプログレ少年と化していてこの時初めて聴いた「なすのちゃわんやき」に すっかりやられてしまい日本にこんなバンドがあったのかと感動したのだった。 その後高校生になって自分でも四人囃子のコピーをするようになる。 四人囃子の演奏が終わり、その後のインターバルが長く、観客は相当焦れていた。 会場がスポーツセンターでしたのでアリーナ席はパイプ椅子。 Rainbow登場を待ちきれない僕達の後ろの高校生らしき一団が、 僕達の席を足でガンガン蹴りながら「お前ら、Rainbow出てきたら前行けよ!」 なんて脅してくるような状態だった。 オープニングのOver The Rainbowが流れ、ステージライトがついた瞬間に観客が総立ちになり、 僕らも釣られて立ち上がり、すぐに後ろから雪崩のように人が押し寄せて パイプ椅子は薙ぎ倒されてあっという間にステージ左側のPAの前あたりに押し出されてしまった。 この日のブート音源を聴くと、Over The Rainbowが流れる前、 チューニングの音が流れている段階から「座れバカやろー!」等の怒号がいくつも聞こえている。 演奏は続いていたが自分はテンガロンハットを被った大柄のローディらしき外人に 「No!」と言われて突き飛ばされた。ステージの左側で後ろを振り向くと、 左脇で何人か担架で運び出されていくのが見えた。 そのまま何曲か演奏は続けられたが、途中で演奏は中断。 客電が点き、主催者が出てきてこのままではステージが続けられない旨数分に及ぶスピーチがあった。 客電が煌々とついたまま演奏は再開。妙に白けた雰囲気だったのを覚えている。 あと覚えているのは、ライブ終盤の恒例のギター壊しの演出の際、 リッチーが放り投げたストラトが虹のアーチに引っ掛かって落ちこなくて、 スペアのギターを引っ張り出してきてまた壊し始めたっていう珍事があったこと。 コンサートが終わって自宅に帰るコールをしたところ、 父親から「お前大丈夫なのか?人が死んだんだぞ!」と言われた。 ライブが終わる前にもう臨時ニュースがTVで流れていたのだ。 その時初めて知った、死者が出たってことを、、、。 主催者からのスピーチでもそんなことは言ってなかったから 現場にいた観客はみんな知らずにライブを最後まで観たということになる。 現実とはこういうものかとショックだった、、、。 翌日の朝刊でもこの事件は大きく取り上げられていた。 (記事では前座のバンドをコスモス・ファクトリーと書いてあったが、、、) 高校生になって、やはりこのコンサートを観たというやつがいて、 彼は後ろの2階席から観たらしいのだが混乱していたのは前方の席だけで 後ろからそれを「あーあ、やっちゃってんなあ」と醒めた目で見てたらしい。 また、通っていた高校の文芸部の顧問の教師が、 部活で「死」というテーマでそれぞれ何か書くことになった時、 自分の友人の娘さんがロックコンサートで亡くなった、 父親である友人はその会場のそばを通るたびに火をつけたくなるんだよと言っていた という話をしていたことがあった、、、。 あと、東京で就職してから仕事で知り合った方に、 この事件のせいで金沢公演は中止になって自分は観れなかったんだと 恨み節を言われたことがあった。 この日のBlackmore's Rainbowのライブ音源は、ブートレッグにもなっているし、 Youtubeでもアップしている方がいるので興味がある方は検索してみてください。
10 ماه پیش در تاریخ 1402/08/11 منتشر شده است.
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