【雫石よしゃれ】おうちde盆踊り〜岩手編〜

松田隆行
松田隆行
4.3 هزار بار بازدید - 4 سال پیش - 雫石よしゃれ 目出度 嬉しやサー 思う事叶た サーハンヨー
雫石よしゃれ 目出度 嬉しやサー 思う事叶た サーハンヨー 末は鶴亀サー 五葉の松 よしゃれサーハンヨー 目出度 目出度のサー 重なる時は サーハンヨー 天の岩戸もサー 押し開く よしゃれサーハンヨー よしゃれ 駒下駄のサー 鼻緒が切れた サーハンヨー 誰がたてたかサー また切れた よしゃれサーハンヨー よしゃれ よしゃれは 何処でも流行る サーハンヨー まして南部のサー 雫石 よしゃれサーハンヨー 編集:西田和永 雫石よしゃれ解説 雫石よしゃれのおこり ~雫石城(現:雫石八幡宮) 雫石町の祝いの席では、必ずよしゃれが唄われ、踊られてきました。 その中の、「よしゃれ 茶屋のかかあ、花染めのたすき、肩にかからねぇで、 気にかかる」、「よしゃれ おかしゃれ その手は喰わぬ その手くうよな 野 暮じゃない」という歌詞は、何に由来しているのでしょうか。 時は戦国時代、下町東にある雫石八幡宮一帯には雫石城がありました。周囲 より一段高いこの天然の要害に城を構えた斯波(しば)氏(伝承では戸沢氏・ 手束(てづか)氏とも)は、用水を葛根田川上流から地下水路を使って引き、 この水路を発見させまいと茶屋を設け美人の女将に見張らせていたと言います。 対して、雫石城の攻略を狙っていた南部氏の軍勢は、隠密を使って水を断つ作 戦を進めます。ついに茶屋に目を付けた隠密が女将に言い寄って水路の秘密を 聞き出そうとしたものの、見破られてしまったという話が歌詞となり、その後 踊りが付けられ、雫石町を代表する民俗芸能・雫石よしゃれとなっていったと 伝えられています。                  〜雫石・歴史探訪シリーズ4より〜
4 سال پیش در تاریخ 1399/05/24 منتشر شده است.
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