特集 日航ジャンボ機墜落事故から38年 絵本がつなぐ事故の記憶(23/08/11)

群馬テレビ・群テレ
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14.5 هزار بار بازدید - 11 ماه پیش - 乗客乗員520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から今月12日で38年です。遺族が群馬県藤岡市で読み聞かせ会を開き、子どもたちに日常の尊さを訴えました。事故当時1985年8月12日の午後6時56分。羽田発大阪行きの日本航空のジャンボ機123便が上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、乗客乗員520人が命を落としました。単独の航空機事故としては史上最悪の悲劇でした。「藤岡市の市民体育館前です。今日は現場での遺体収容作業が行われ、そして今日一日で121体が収容されました」(当時のリポート)「小さなつぶらな瞳をした子どもが水もらいに来るんですよね。本当にもらい泣きしながら接待しております」(藤岡市婦人会の女性)事故当時、藤岡市には犠牲者の遺体安置所が設けられ、5000人あまりの市民らが遺族を支えました。事故から38年になるのを前に、ある一人の女性が藤岡市を訪れました。大阪府に住む谷口真知子さん75歳です。谷口さんは事故で最愛の夫・正勝さんを亡くしました。「本当に遅くなって申し訳ないというのが第一ですね。当時本当にありがとうございましたとお礼を申し上げないといけなかったのにごめんなさい」(谷口さん)谷口さんが口にした藤岡市民への「感謝の想い」。谷口さんが藤岡市を訪れた理由です。7年前には夫や事故のことを後世に伝えようと、事故と向き合いながら懸命に生きようとする家族の姿を「パパの柿の木」という一冊の絵本にまとめました。2年前に企画した藤岡市内での読み聞かせ会は、新型コロナの影響でリモートでの開催を余儀なくされました。「(コロナが)落ち着いたら(藤岡の)学校や一般の市民の方に読み聞かせをさせていただいて想いを伝えたい」(谷口さん)この言葉から2年。ようやく市内での読み聞かせ会が実現しました。会場に集まった児童や保護者ら約80人を前に谷口さんは言葉に想いを乗せて事故の記憶を語ります。「パパの柿の木は冬になると枯れたように見える。でも春になるとそこから小さな芽が力強く生えてくるんだ」そして、読み聞かせを終えると日常の大切さを力強く訴えました。「皆さん一度考えてみてください。当たり前だと思って何気なく過ごしている毎日が、ときには愚痴や不平不満を漏らしながら送っている毎日が突然失われることがあるかもしれないということを。そして昨日と同じ一日を迎えられたことに感謝して毎日を大切に生きようとしてほしいです」(谷口さん)参加した児童や保護者は真剣なまなざしで谷口さんの言葉一つ一つを丁寧に受け取っていました。「柿の木のパパのように急にこの世から消えてしまうかもしれないので僕も家族と過ごせる一日一日を大切にしていきたいなと思いました」(男子児童)「辛いことも悲しいこともあると思います。そのときにこのお話や絵本や歌を思い出して前を向いて生きてくれたらこんなに嬉しいことはないし、絵本の中のパパもきっと喜んでいると思います。本当にありがとう」(谷口さん)「自分の命をもっと大切に扱おうと思って、あと家族との日々を大切にしようと思いました。これからもどんどん楽しいことは全力でやって嬉しいことも一生懸命笑って生きていきたいと思いました」(女子児童)「家族って大事だなと改めて思いました。今すぐ帰って家族を抱きしめたいと思いました」(保護者)この後、谷口さんは美九里東小学校でも読み聞かせ会を開き、全校児童約100人に言葉を届けました。会場には2001年から慰霊登山用の杖を作る本多一助さんの姿も。「学校に呼ばれるたびに胸がいっぱいになっちゃってダメなんだよね。話聞くたびに俺のすることが増えたような気がするんだよね」(本多さん)読み聞かせが終わると児童から谷口さんにもう二度とこのような事故を起こさないという願いが込められた杖が贈られました。「おととしにしたかったことがやっと今日できてすごく嬉しいと思っています。いろいろなところで(読み聞かせ会を)やらせてもらったけどやはり反応が違います。子どもたちはすごく深い理解をしてくれて、私の伝えたかったことがしっかり伝わっているなという実感がありました。こんな風に何気なく過ごしている日常は本当に貴重なものだぞというのをたくさんの方に、できたら子どものうちに伝えたい」(谷口さん)次の日、谷口さんの姿は「御巣鷹の尾根」にありました。子どもたちから贈られた杖を頼りに一歩一歩、歩みを進める谷口さん。正勝さんの墓標の前に着くと読み聞かせ会の成功を報告しました。「パパのことお話しできたよとかパパのこと忘れてないよって、だからパパもそれだけ私たちが思っているんだからちゃんと私たちを見守るのよとかいうのはすごく私にとっては大事なことです。一年の一大行事です。(事故当時)お世話になった方とかいろんな方に今度からは遅くなったけどお礼の講演もしていきたい。それが目標です。(夫に)応援してもらって何とか実現に向けて頑張ってもらいます」(谷口さん)絵本は最後、次のように締めくくられます。「パパ、いつも僕たちを見守ってくれてありがとう。」
乗客乗員520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から今月12日で38年です。遺族が群馬県藤岡市で読み聞かせ会を開き、子どもたちに日常の尊さを訴えました。

事故当時1985年8月12日の午後6時56分。羽田発大阪行きの日本航空のジャンボ機123便が上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、乗客乗員520人が命を落としました。単独の航空機事故としては史上最悪の悲劇でした。

「藤岡市の市民体育館前です。今日は現場での遺体収容作業が行われ、そして今日一日で121体が収容されました」(当時のリポート)「小さなつぶらな瞳をした子どもが水もらいに来るんですよね。本当にもらい泣きしながら接待しております」(藤岡市婦人会の女性)

事故当時、藤岡市には犠牲者の遺体安置所が設けられ、5000人あまりの市民らが遺族を支えました。

事故から38年になるのを前に、ある一人の女性が藤岡市を訪れました。大阪府に住む谷口真知子さん75歳です。谷口さんは事故で最愛の夫・正勝さんを亡くしました。

「本当に遅くなって申し訳ないというのが第一ですね。当時本当にありがとうございましたとお礼を申し上げないといけなかったのにごめんなさい」(谷口さん)

谷口さんが口にした藤岡市民への「感謝の想い」。谷口さんが藤岡市を訪れた理由です。7年前には夫や事故のことを後世に伝えようと、事故と向き合いながら懸命に生きようとする家族の姿を「パパの柿の木」という一冊の絵本にまとめました。

2年前に企画した藤岡市内での読み聞かせ会は、新型コロナの影響でリモートでの開催を余儀なくされました。「(コロナが)落ち着いたら(藤岡の)学校や一般の市民の方に読み聞かせをさせていただいて想いを伝えたい」(谷口さん)

この言葉から2年。ようやく市内での読み聞かせ会が実現しました。会場に集まった児童や保護者ら約80人を前に谷口さんは言葉に想いを乗せて事故の記憶を語ります。「パパの柿の木は冬になると枯れたように見える。でも春になるとそこから小さな芽が力強く生えてくるんだ」そして、読み聞かせを終えると日常の大切さを力強く訴えました。

「皆さん一度考えてみてください。当たり前だと思って何気なく過ごしている毎日が、ときには愚痴や不平不満を漏らしながら送っている毎日が突然失われることがあるかもしれないということを。そして昨日と同じ一日を迎えられたことに感謝して毎日を大切に生きようとしてほしいです」(谷口さん)

参加した児童や保護者は真剣なまなざしで谷口さんの言葉一つ一つを丁寧に受け取っていました。「柿の木のパパのように急にこの世から消えてしまうかもしれないので僕も家族と過ごせる一日一日を大切にしていきたいなと思いました」(男子児童)

「辛いことも悲しいこともあると思います。そのときにこのお話や絵本や歌を思い出して前を向いて生きてくれたらこんなに嬉しいことはないし、絵本の中のパパもきっと喜んでいると思います。本当にありがとう」(谷口さん)

「自分の命をもっと大切に扱おうと思って、あと家族との日々を大切にしようと思いました。これからもどんどん楽しいことは全力でやって嬉しいことも一生懸命笑って生きていきたいと思いました」(女子児童)「家族って大事だなと改めて思いました。今すぐ帰って家族を抱きしめたいと思いました」(保護者)

この後、谷口さんは美九里東小学校でも読み聞かせ会を開き、全校児童約100人に言葉を届けました。会場には2001年から慰霊登山用の杖を作る本多一助さんの姿も。「学校に呼ばれるたびに胸がいっぱいになっちゃってダメなんだよね。話聞くたびに俺のすることが増えたような気がするんだよね」(本多さん)

読み聞かせが終わると児童から谷口さんにもう二度とこのような事故を起こさないという願いが込められた杖が贈られました。

「おととしにしたかったことがやっと今日できてすごく嬉しいと思っています。いろいろなところで(読み聞かせ会を)やらせてもらったけどやはり反応が違います。子どもたちはすごく深い理解をしてくれて、私の伝えたかったことがしっかり伝わっているなという実感がありました。こんな風に何気なく過ごしている日常は本当に貴重なものだぞというのをたくさんの方に、できたら子どものうちに伝えたい」(谷口さん)

次の日、谷口さんの姿は「御巣鷹の尾根」にありました。子どもたちから贈られた杖を頼りに一歩一歩、歩みを進める谷口さん。正勝さんの墓標の前に着くと読み聞かせ会の成功を報告しました。

「パパのことお話しできたよとかパパのこと忘れてないよって、だからパパもそれだけ私たちが思っているんだからちゃんと私たちを見守るのよとかいうのはすごく私にとっては大事なことです。一年の一大行事です。(事故当時)お世話になった方とかいろんな方に今度からは遅くなったけどお礼の講演もしていきたい。それが目標です。(夫に)応援してもらって何とか実現に向けて頑張ってもらいます」(谷口さん)

絵本は最後、次のように締めくくられます。「パパ、いつも僕たちを見守ってくれてありがとう。」
11 ماه پیش در تاریخ 1402/05/20 منتشر شده است.
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