【孔子①】中国思想解説#3【儒教】【論語】

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動画の書き起こし版です。

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孔子は春秋時代の魯の国に生まれました。

父は60歳(一説には70歳とも)母は16歳で、
事実は確かではないものの、不倫によってできた子供だったと言われています。

武人であった父は、孔子が3歳のときに亡くなります。
巫女であった母は【儒】という葬送儀礼を専門とした集団に身を寄せ、
孔子とともに貧しい暮らしを生き抜きます。
そのため、彼は幼少期、青年期に学問を形式的に学ぶことができませんでした。
しかし身を寄せた儒での生活において、葬送儀礼についてのノウハウを学び、
それが彼の出世を助けることになります。

後に孔子の弟子が、
「師匠はなんでそんなに芸達者なんでしょうか?」と聞くと
「小さい頃は貧しかったから、つまらない技芸を身につける必要があったのだ」
と答えたといいます。

28歳の頃、その能力を見込まれた孔子は、魯の役人として働き出します。
倉庫番などをしながら勉学に励みました。
この頃に初めての弟子を取ったと言われています。
論語に『夫子はいずくにか学ばざらん。しかも何の常の師かあらん』
と残っている通り、特定の師を持たずに知りたいことがあれば、
その知識に詳しい人間に頭を下げて学びました。

36歳の頃、君主の昭公が強い力を持った貴族によって失脚し、斉の国に亡命します。
孔子もそれについていく形で魯の国を出ますが、2年後に帰国。
しばらくは役職にはつかず、弟子の教育に力を入れました。

孔子52歳、ついに魯の国の高官に選ばれますが、
政治改革に失敗して国の中枢から外れます。

その後は弟子たちとともに各国を遊説し
いろいろな国で思想をアピールして回りました。
しかし、最後まで孔子を登用する国は現れませんでした。

各国を遊説している間に、孔子の弟子は3000人を数えるまでになります。

その中でも特に優れた10名の弟子を【孔門十哲】と呼び、
孔子と彼らの言葉を後世に編集したものが【論語】です。

孔子の死後、儒学は8つの派閥に分裂します。
その中から、孟子と荀子という天才が現れ儒学が形作られていくのです。

春秋戦国時代は、秦の始皇帝が中国を統一することで終わります。
秦は法家の思想を用いて中国を統一しました。
そのため、国家を安定させるためにそれ以外の思想に対して弾圧を加えます。
これを【焚書坑儒】と呼びます。

焚書坑儒をなんとか生き延びた儒家は、細々と活動を続けます。

劉邦が建国した前漢の時代。
前期には道家の思想が流行りますが、徐々に儒家が台頭します。
そして董仲舒が国に五経博士という
儒教の経典である五経(詩・書・礼・易・春秋)を
指導する教官にあたる役職を設定したことで、
事実上、儒教が前漢の国教になりました。

隋の時代には官僚登用試験である【科挙】が始まり、
儒学を治めることが高官への必須条件となりました。

宋代には朱熹が儒学をベースに【朱子学】を構築します。
明の時代には王陽明が朱子学を批判的に発展させ【陽明学】を作ります。

日本には513年ごろ、百済より五経博士が来日したことで初めて接触があったとされていて
以後、様々な影響を受けることとなります。

飛鳥時代に制定された聖徳太子の十七条憲法には
『和を以て貴しとなす』とありますが、これは論語由来の言葉です。

江戸時代、新渡戸稲造の【武士道】には
『道徳的な教義に関しては、孔子の教えが武士道のもっとも豊かな源泉となった』
との記述があり、
幕府側は朱子学を、倒幕派は陽明学を学んでいたと言われています。

孔子の思想については次回詳しく触れますが、
簡単にいえば、親族や仲間を敬ってそれを行動に表しましょう。
というものです。

日本における親や年長者への配慮の思想は、
間違いなく儒教の影響を受けていると断言して良いでしょう。


生前、孔子はその思想ほどの評価を受けませんでした。
貧しかった幼少期、政局に振り回された壮年期。
しかし彼の死後、その思想は神格化されアジアのみならず
西洋にも大きな影響を与えることになります。

孔子は、ソクラテス、イエス、釈迦と並んで、
世界四大聖人に数えられています。


次回は孔子の語った【仁】と【礼】そして【徳治主義】について解説をします。


以上です。

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#孔子
#孔門十哲
#春秋時代
4 سال پیش در تاریخ 1399/08/11 منتشر شده است.
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