【合戦解説】魚津城の戦い 織田 vs 上杉 〜織田信長による武田征討戦に呼応し 織田北陸軍は上杉の本土 越後へむけ侵攻を本格化させる〜

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730.2 هزار بار بازدید - 4 سال پیش - 時は安土桃山時代天正5年(1577)頃より始まった、室町幕府 将軍 足利義昭による「第3次 信長包囲網」は将軍を庇護する中国地方の毛利輝元や宇喜多直家をはじめ丹波の波多野、 大和の松永久秀など、畿内周辺の大名が反信長を掲げ立ち上がったそして、なにより将軍が頼みにしていたのが、北信越地方の上杉謙信であった将軍からの要請に応じた謙信は、織田との同盟関係を破棄し、北陸地方へ攻め込むと「手取川の戦い」にて、柴田勝家
時は安土桃山時代

天正5年(1577)頃より始まった、室町幕府 将軍 足利義昭による「第3次 信長包囲網」は
将軍を庇護する中国地方の毛利輝元や宇喜多直家をはじめ
丹波の波多野、 大和の松永久秀など、畿内周辺の大名が反信長を掲げ立ち上がった
そして、なにより将軍が頼みにしていたのが、北信越地方の上杉謙信であった
将軍からの要請に応じた謙信は、織田との同盟関係を破棄し、北陸地方へ攻め込むと
「手取川の戦い」にて、柴田勝家 率いる 織田北陸軍を圧倒し 軍神のごとき速度で越前まで進軍する
しかし翌年の天正6年(1578) 3月 京に入るべく軍を整えた矢先 謙信は病のため春日山城にて亡くなってしまう。その報せに勢いを失った反信長勢力は、次々に織田軍により駆逐され、天正8年(1580)に摂津 本願寺の顕如が降伏した事で「第3次 信長包囲網」は事実上の瓦解となった。
軍神を失った上杉家では、上杉景勝、上杉景虎による 後継者争いが起こり、なんとか勝利した 上杉景勝が当主につくも 領土は荒れ 国衆はまとまらず 織田軍とまともに戦える状況ではなかった
この機を逃さない信長は、武田征伐に 嫡男 織田信忠軍を、そして 上杉征伐には柴田勝家率いる 北陸軍を向かわせ、自らも6万を率いて安土を出立するのであった


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※番組内に登場する忍キャラは、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2021年時点での歴史資料を元に作成しております

#戦国時代 #歴史 #合戦解説
4 سال پیش در تاریخ 1399/10/19 منتشر شده است.
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