My ジェットストリーム 魅惑のハリウッド5 モダン・タイムス

MyJet-K2021
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125.9 هزار بار بازدید - 2 سال پیش - これはもちろん戦前の話ですが、・・・ 映画評論家、淀川長治がユナイト大阪支社で勤務していた時代(1936年?)にチャップリンが来日して神戸港にやってきて、その取材の為にチャップリンのインタビューができたことを何かの本か雑誌で読んだ。当時の神戸は人口100万人もいなかったのに、なんとチャップリン見たさに神戸港は1万人以上のファンが集まったと書いていた。但しチャップリンは船から外へ出ることはなく、集まったファンとの交流もなかったが、淀川氏はちゃっかりと取材の為に来たとか言ってチャップリンに直接船内へ案内されて数十分のインタビューができたらしい。  実はチャップリンは4度も来日するほど親日家であったという。しかも初来日の時は東京の首相官邸に招かれていて当時の犬養首相と会談をする予定が組まれていたらしい。その日というのが1932年5月15日だったという!歴史に詳しい方はすでにお分かりの通り、5.15事件が起こったまさにその日に銃殺された犬養首相と会う約束があったというのだ。当然のことながら暗殺犯の海軍青年将校たちは犬養首相と共にチャップリンも殺すつもりだったらしい。しかしながら、チャップリンはその会談前に国技館へ相撲見物に行っていて事なきを得たという。 戦前の人々にはそれほど大きな存在だったチャップリンであるが、戦後すぐに起こったアメリカの赤狩り政策によって、彼は共産主義者という烙印を押され映画界を追放されている。特にヒトラーを風刺した映画「独裁者」の最後に語るチャップリンの名演説が無政府主義的であるとされ、共産主義者の証拠だと勝手に決めつけられた。芸術を解さないなんと愚かなアメリカ政府だったことよ!ついでに「ローマの休日」のウィリアム・ワイラー監督も共産主義者の疑いがかけられたという。 その影響もあったのかもしれないが、戦前から戦後にかけて激しい浮き沈みを経験したチャップリン人気が日本でも復活したのは70年代以降だったという気がする。我々の子供時代はまだ赤狩りやレッドパージの影響が残っていたらしく、映画館でもチャップリン映画が再上映されることはほとんどなかったが、チャップリンの大ファンでもある淀川長治がテレビ朝日の日曜洋画劇場の解説者となって以来、チャップリン映画がTVで紹介されることになったと記憶している。ちなみにテレビ朝日の日曜洋画劇場はTVで劇場用映画を放映する初めての画期的番組であった。但し60年代まではカラー放送はまだなかった。
これはもちろん戦前の話ですが、・・・ 映画評論家、淀川長治がユナイト大阪支社で勤務していた時代(1936年?)にチャップリンが来日して神戸港にやってきて、その取材の為にチャップリンのインタビューができたことを何かの本か雑誌で読んだ。当時の神戸は人口100万人もいなかったのに、なんとチャップリン見たさに神戸港は1万人以上のファンが集まったと書いていた。但しチャップリンは船から外へ出ることはなく、集まったファンとの交流もなかったが、淀川氏はちゃっかりと取材の為に来たとか言ってチャップリンに直接船内へ案内されて数十分のインタビューができたらしい。  実はチャップリンは4度も来日するほど親日家であったという。しかも初来日の時は東京の首相官邸に招かれていて当時の犬養首相と会談をする予定が組まれていたらしい。その日というのが1932年5月15日だったという!歴史に詳しい方はすでにお分かりの通り、5.15事件が起こったまさにその日に銃殺された犬養首相と会う約束があったというのだ。当然のことながら暗殺犯の海軍青年将校たちは犬養首相と共にチャップリンも殺すつもりだったらしい。しかしながら、チャップリンはその会談前に国技館へ相撲見物に行っていて事なきを得たという。 戦前の人々にはそれほど大きな存在だったチャップリンであるが、戦後すぐに起こったアメリカの赤狩り政策によって、彼は共産主義者という烙印を押され映画界を追放されている。特にヒトラーを風刺した映画「独裁者」の最後に語るチャップリンの名演説が無政府主義的であるとされ、共産主義者の証拠だと勝手に決めつけられた。芸術を解さないなんと愚かなアメリカ政府だったことよ!ついでに「ローマの休日」のウィリアム・ワイラー監督も共産主義者の疑いがかけられたという。 その影響もあったのかもしれないが、戦前から戦後にかけて激しい浮き沈みを経験したチャップリン人気が日本でも復活したのは70年代以降だったという気がする。我々の子供時代はまだ赤狩りやレッドパージの影響が残っていたらしく、映画館でもチャップリン映画が再上映されることはほとんどなかったが、チャップリンの大ファンでもある淀川長治がテレビ朝日の日曜洋画劇場の解説者となって以来、チャップリン映画がTVで紹介されることになったと記憶している。ちなみにテレビ朝日の日曜洋画劇場はTVで劇場用映画を放映する初めての画期的番組であった。但し60年代まではカラー放送はまだなかった。 チャップリンが亡くなった日は1977年12月25日。なんとキリスト生誕日とされるクリスマスの日だった。その翌日の新聞記事は一面から社会面までほぼすべてチャップリン死去を惜しむ報で埋め尽くされた。芸能人の訃報でこれほど大きな扱いになったのはいまだに他に記憶がない。彼は「喜劇王チャップリン」とかいわれることが多かったが、亡くなってからは「映画の神様」ともいわれた。 《動機とコンセプト》 以前、長期入院時にジェットストリームを聴きながら癒された経験がありました。最近は持病の不眠症の改善にも音楽が役立つことを実感しています。故城達也のナレーションには宇宙と一体化した魂の安らぎや永遠への希望が感じられます。このYouTubeのタイトルを“My ジェットストリーム”としたのは、故城達也氏の世界観にあやかりながら、音楽を聴くだけで世界一周の気分を味わうことができればどんなに楽しいだろうかと思い付いたのがきっかけです。……と同時に、音楽を聴きながら〈昔を懐かしむ〉というもう一つの強い動機がありました。選曲はジェットストリームと同じく一流のオーケストラの楽曲を中心にしながらも適度な私的遊び心も満喫したいとの思いから(ジェットストリームにはあまりない?)有名な歌手の歌声も数曲入れています。あと曲順にも一応こだわってます。 《音楽著作権問題について》 アップされているほとんどの音楽は著作権問題をクリアしている訳ではありません。したがって収益化不可という条件での許諾になっていることを同意のうえで公開しています。これはあくまでも私的趣味でやっていることですので、この点は誤解のなきようご理解をお願いいたします。
2 سال پیش در تاریخ 1401/05/08 منتشر شده است.
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