【合戦解説】小牧・長久手の戦い[後編] 羽柴 vs 織田・徳川 〜 長久手の戦いにて池田恒興・森長可ら重臣を失った羽柴秀吉は 新たな策で徳川家康に挑み続ける 〜

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1.8 میلیون بار بازدید - 3 سال پیش - 時は安土桃山時代天正12年(1584年)3月隣国の徳川家康を味方に付け 挙兵した 織田家当主  織田信雄は、家康の指示のもと 根来衆や雑賀衆、四国の長宗我部を味方に付け
時は安土桃山時代

天正12年(1584年)3月
隣国の徳川家康を味方に付け 挙兵した 織田家当主  織田信雄は、家康の指示のもと 根来衆や雑賀衆、四国の長宗我部を味方に付け 羽柴包囲網を形成、羽柴軍の兵力分散の策を採ることで長期戦に備えた。
一方 秀吉は この戦いを 天下統一を成すために避けては通れない「家康との覇権争い」であると捉え、毛利の抑えに黒田官兵衛、大坂城の防衛に 蜂須賀小六、生駒親正、紀州の抑えには 中村一氏、真鍋貞成、四国十河の援軍に 仙石秀久、小西行長ら水軍を向かわせ、残りの主力7万で 伊勢、尾張へ向け大坂を発った。
秀吉は 弟の秀長に伊勢侵攻の別動隊を託すと 羽柴本隊は 北尾張の楽田城に入り 織田・徳川軍と対峙した。
すぐにも決戦に持ち込みたい秀吉であったが  家康は 堅城 小牧山城に籠もり続け 出てこない。痺れを切らした秀吉は、三河国の岡崎城攻めに向かわせる「三河中入り」の策を思いつき、甥の羽柴信吉(後の秀次)を総大将とする2万の羽柴中入り隊を向かわせるも、早々に策が漏れ 織田・徳川軍による奇襲攻めを受けた 最後尾の羽柴信吉隊は壊滅。堀秀政の機転でなんとか信吉は撤退に成功するも、孤立した森長可や池田恒興の隊は撤退途中の 長久手の地にて 織田・徳川軍の待ち伏せにあい 激戦の末討死してしまう。

この長久手の戦いで大敗を喫した秀吉は 大きく戦略を変える事となった

この物語は続編となります
先に「小牧・長久手の戦い[前編][中編]」をご覧いただくことで、より楽しめる内容となっております

▼小牧・長久手の戦い[前編]
【合戦解説】小牧・長久手の戦い[前編] 羽柴 vs 織田・徳川 〜 織田家...

▼小牧・長久手の戦い[中編]
【合戦解説】小牧・長久手の戦い[中編] 羽柴 vs 織田・徳川 〜 織田家...

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※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※番組内に登場する忍キャラは、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2021年時点での歴史資料を元に作成しております


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#戦国時代 #合戦 #歴史
3 سال پیش در تاریخ 1400/05/21 منتشر شده است.
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